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2011-05-08

大縣神社(旧國幣中社)

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尾張開拓の祖神大縣大神を祀る当社は、古来より朝廷を始め衆庶の崇敬篤く、尾張の二宮様として親しまれ、事業繁栄・開運厄除の守護神として仰がれております。
 当神社の御鎮座は古く、社伝によれば御祭神 大縣大神は、始め濃尾平野を見下ろす本宮山の頂に鎮座されておりましたが、垂仁天皇27年8月(紀元前3年)に現在の地に新宮を営み御遷座されたと伝えられております。延喜式神名帳には名神大社として登載され、大正7年11月28日に國幣中社に列せられました。
 現在の御社殿は、尾張藩主2代目徳川光友公が寛文元年(1661年)に再興された建物で、尾張造の構造様式を正確に伝へ、特に御本殿は「三棟造」・「大縣造」と称され他に類をみない特殊な様式を構え、昭和56年6月5日国の重要文化財の指定を受けております。

2011-05-08

姫之宮

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摂社 姫之宮は、御祭神の神裔 玉比売命(たまひめのみこと)を祀り、古来より女性の守護神として称えられ、安産・子授け・婦人病 特に縁結びの神様として篤い信仰があります。
本殿裏手には、良縁成就のむすひ池があります。








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むすひ池

このむすひ池は、願い事を良き縁に導くようにご祈念いただく清らかな池です。
「むすひ」とは、人と人とを結ぶ意味だけではなく、天地・万物を生み出す霊的な意味があります。
神話の時代より私たち日本人は、自然を始め全てのものに神の存在をみいだす価値観があり、目に見えないものにも心配りをし、自然の驚異にも畏敬の念を懐き常に自然を崇め共存してまいりました。日本最古の書物「古事記」の冒頭は、「天地の初発の時、高天原に生りませる神の名は、天之御中主、次に高御産巣日神、次に神産巣日神。此の三柱の神は、並独神成り坐して、身を隠したまひき」と云う文章から始まっております。この天地開闢の最初に成った三柱の神は、造化三神と称えられ、世界(宇宙)の全ての源である むすひ(むすび)の神様です。

2011-05-08

大国恵比須神社

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出雲の大国主神・事代主神を祀る。世に大国様・恵比須様として親しまれ、古くから福の神・縁結の神・農耕の神・医薬の神などの祖神として、又恵比須様は商売繁昌・学問の守護神として尊崇されています。正月3日の初ゑびす祭は、県下三大ゑびすの一つに数えられております。

◎初ゑびす   1月3日~1月5日
◎ゑびす祭   毎月10日午前9時

2011-05-08

本宮社(本宮山頂)

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本宮山頂に鎮座するこの社には、大縣大神の荒魂をお祀りしております。
大神様が鎮まり坐す尾張本宮山は大縣神社の神体山として、古来より「日出る山」「朝日の射す山」と云われ、古来より朝廷を始め、武家民衆からも篤い信仰を集めております。本宮山は悠久の歴史の中で様々な民話・伝統を有しております。なかでも、「山姥物語」や「山の背比べ」などの話は著名で、今日まで語り継がれております。

◎初日の出奉拝式     1月1日午前7時
◎本宮社例祭        旧6月16日 本年は7月19日午後6時30分

2011-05-08

楽田神社

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楽田神社は地元楽田出身の御英霊をおまつりしている神社です。御英霊とは、日本の国を護るために勇敢に戦われ散華された方々の御霊(みたま)のことです。
この神社の創始は、昭和19年5月20日国の為に尊い命を捧げられた方々の御霊を慰めその崇高なる精神を永久に顕彰するために楽田城址城山に創建されました。しかし戦後の時代の変遷により昭和25年3月21日に大縣神社境内に遷座されております。現在、日露戦争で活躍された八代六郎海軍大将、またその兄松山義根(地元初の国会議員)をはじめ歴代村長等の自治功労者の御霊20柱、楽田出身の190柱の御英霊に併せ尾張出生の御英霊をお祀りしております。

今の日本の繁栄は、このような先人たちの尊い犠牲の上にあることを忘れてはなりません。郷土を愛し、日本の未来のために尊い命を捧げられました御英霊に感謝のまことをもっておまいりしましょう。

◎御霊祭(命月祭)     毎月1日  午前10時
                    (但し 1月のみ10日)
◎楽田神社みたま祭     3月20日 午前10時

◎慰霊祭          3月29日 午前11時

           ※どなたでもご参列頂けます

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本宮山山頂から拝むご来光

元旦午前6時45分 大縣大神の荒魂をお祀りする本宮社にて歳旦祭斎行。
日の出時刻に遅れる事11分にご来光を拝む
平成24年1月1日7時11分撮影

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本宮山からの眺望



二の宮組稚児山
    お囃子奉納

一千年以上の歴史を有する「二の宮組 稚児山」が修復され、10月7日午前10時に竣工奉告祭が執り行われ、夕刻には試楽祭、翌8日正午より本楽祭が斎行されました。尚現在の山車は文化13年に築造されたものです。

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稚児山祭礼役者紹介

H24.10.8 長谷川昇二 撮影
 大太鼓 落合夏梨
 小太鼓 溝口  薫
   鼓   多田心幸
   鼓   板津那奈
   鼓   吉田海斗
   鼓   和田悠斗
   獅子 窪田晃慶
   稚児 宮川  咲
   稚児 落合唯斗
短い練習時間でしたが、太鼓の息はぴったりで、立派にご奉仕を頂きました。二の宮組の皆様ありごとうございました。

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八代六郎海軍大将

八代大将は当社にほど近い楽田横町の出身で庄屋、松山庄七の三男として1860年(万延元年)1月3日に生れました。十歳で八代家に養子に入り、海軍兵学校にて学び、日露戦争では軍艦浅間艦長として参戦。バルティック艦隊との日本海海戦では、慄く兵士の心を尺八の音で落ち着かせ敵艦二艇に大損害を与え海軍軍人として功績を上挙げています。なかでも最も輝かしい功績は海軍大臣としてシーメンス事件を鮮やかに処理し、海軍の信用回復に尽くされた事です。
八代六郎は高潔な人で「文臣銭を愛せず 武臣死をおしまずんば天下泰平ならむ」が座右の銘で、七十一歳の生涯を人として貫かれ亡くなる時は無一文でありました。
昭和55年8月、八代大将が亡くなられてから50年の節目に際し、郷土が生んだ英雄の功績を称えその道徳を永久に顕彰する為、「八代六郎将軍顕彰会」が結成され、同年11月3日御霊を楽田神社に合祀申し上げております。
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八代六郎海軍大将胸像

楽田城址に、永津義助村長の時(昭和12年)村からの臨時予算五百円を以て楽田青年団200名(田中伊之助団長)が倉曾洞より庭石百二十二個を楽田小学校校庭南東に運び築山を造成し陶像を建立したと云われております。昭和12年6月5日には竣工の祝賀会が村挙げて盛大に行なわれましたが、時が移りかわり昭和54年9月10日楽田小学校運動場拡張に伴い大縣神社境内に帝国在郷軍人会楽田村分会建立の「戦役記念碑」と共に移設されております。台座部分は建立当時の物であるが、境内に顕彰されている像は陶器製で、八代大将が亡くなられてから50年の節目に際し、八代六郎将軍顕彰会が河村竹松氏(犬山市字荒井)に依頼し作られ胸像で、今でも故郷の英雄と親しまれております。
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八代六郎は、平成21年11月29日から平成23年12月25日まで足掛け3年に亘ってNHKで放送された司馬遼太郎の代表作『坂の上の雲』(さかのうえのくも)で片岡鶴太郎が演じて登場しております。
八代六郎(演:片岡鶴太郎)は、主人公秋山真之や広瀬武夫の兵学校時代の教官で、広瀬に先行してロシアに留学し、共にロシアの内情を探り、帰国してからは、かつての生徒である真之の海軍大学校での講義に聴講生として参加。また高橋是清と共に真之に稲生季子を紹介し、結婚の際には仲人を務めている。